歴史的な書物に登場する畳
- 長い長い畳の歴史を絵や文を通して見て行きましょう。
- 大昔から続く畳の歴史は、古い書物や文献、絵巻の中に何気なく登場しています。
- いきなり年表も何なので、歴史に登場する畳を見て行きましょう。
『源氏物語絵巻』1125年前後 平安時代末期の作品 国宝指定
- 源氏物語絵巻とは、西暦1000年ごろに紫式部によって書かれた「源氏物語」の文に絵を付けて作り直した読み物です。
西暦1000年ごろの文献にこの源氏物語が出てくるので、原文は少し前くらいに出来ていたと思われます。
源氏物語絵巻は一つでは無く、各時代で作られていますので絵巻ごとによって年代が異なります。
この絵は、国宝指定されている平安時代末期(最古)の源氏物語絵巻の物です。
- 畳、見えますでしょうか?
ありますよね、足元にちらっと。
西暦1100年代の人がこうやって畳の上で暮らしていたんですね。
- ちゃんと畳があります。
この源氏物語と言うのは結構ドロドロしてて、女性の心をつかんで離さない「昼の連続ドラマ」のような話ですよね。
このころの畳は貴族だけの物で身分・位に応じて使える畳縁や厚みが決められていました、しかも畳を敷き詰めるのでは無く必要な所に敷く「持ち運べる畳」でした。
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『北野天神縁起』 西暦1219年 北野天満宮所蔵
- 北野天神縁起は、有名な天神様こと菅原道真にまつわる様々な出来事を絵巻にした物です。
死後、学業の神様となった菅原道真に関する絵巻にも畳がちらっと出てきます。
- 右上の屋内で畳の上に座っているのが菅原道真です。
この後、大宰府へ左遷されます。
京を去る時に、
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
と詠んだ歌は、名句だと思います。
右大臣まで上り詰めた道真は藤原時平に陥れられます。
そして死後、時平に復讐をします。
- こんな怨霊に襲われたら、そりゃあ大騒ぎになりますよね。
そんな大騒ぎ中でも、畳はしっかり描かれています。
こういう昔の絵に描かれている畳で不思議なのは全部青いんですね。
日に焼けている描写は見た事ありませんね、わざわざ青く描いているのか、畳を持っているのは貴族だけなので、退色したらすぐに新しくしていたのか、不思議です。
実は、この絵の時点で道真を陥れた藤原時平はすでに死んでいます。
と言うか、嘘か真かは別として道真が時平を呪って殺した事になっています。
それでも、道真の怨霊はおさまらずに大暴れを続けます。
人の恨みは怖いですね。
この時の怨霊のアップが次の絵です。
- 雷様にしか見えませんね。
でも、この怨霊は本当に雷系で都中に雷を落としたそうです。
そんな中で一箇所だけかみなりが落ちない場所がありました。昔の道真の邸宅、
そうです、先ほどの画像にあった「梅の花」が咲いていた邸宅です。
雷が落ちなかった道真の邸宅があった場所が「くわばら」と言う所です。
ここから、なにか恐ろしい事がある時に魔除け・悪い事除けてきな感じで、
「ここは桑原ですよ!ここには雷は落とさないで下さいね!」という意味で「くわばら、くわばら」と言う様になったのです。(畳に関係ない豆知識です)
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『春日権現霊験記繪』1309年 鎌倉時代後期 絵師は高階隆兼
- 藤原氏の氏神として政治的・文化的両面での大きな影響力をもった春日大社の絵巻物です。
(原本は宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
畳が部屋全体に敷き込まれる様になるのは、室町時代になってからと言うのが定説です。
が、鎌倉後期のこの絵にはすでに敷き込まれている様に見えます。
この絵でもやっぱり「畳は青い」です。
何か健康和紙畳表を使っているかの様ですね。
しかし、この絵を描いた絵師は細かく良く描いています。
鎌倉時代に絵に描かれているようなフスマがあったなんてって思いますね。すごい技術だったんでしょうね。
関連ページ
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畳の歴史年表
飛鳥時代以前 ~西暦710年
- 隋書和国伝(7世紀に日本について記述された中国の書)では「草を編みて薦(こも)となす。雑変を表となし、縁(ふちど)るに文皮をもってす。」
この文章が畳を指すと言う証拠はありませんが、畳としか思えない表現です。
古事記よりも前の書物ですので、「その時点で畳があったのか?無かったのか?」は興味をそそられるポイントです。
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奈良時代 西暦710年~794年
- 日本に残る文献で畳に関する最古の表記は古事記(太安麻呂撰・和銅五年・西暦712年)にあります。
中巻神武天皇の条にある若御毛沼命と大物主神の娘・伊須気余理比売の婚姻のくだりに、
「葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し」(神武天皇)とあります。
また、倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の際、弟橘姫(わとたちばなのひめ)が入水のくだりに、
「海に入らんとするときに、菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重を波のうえに敷きて、その上にくだりましき」と言うのもあります。
この二つの文章に「菅畳」「皮畳」「絹畳」とすでに3種類のバリエーションを持った畳が登場しています。
さらに万葉集には「木綿畳」「畳薦」が書かれています。
この時代の畳はおそらく薦(こも)や筵(むしろ)のような物で現在の畳のような構造では無かったのではないかと言われています。
しかし、同じ奈良時代の聖武天皇の遺品を収蔵している正倉院には畳床のような芯材を持った「御床畳残欠」が残っており、それが現存する日本最古の畳になっています。
詳しくはこちら→現存する最古の畳
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平安時代 西暦794年~1185年
- 奈良時代、古事記のあたりには薄い筵(むしろ)のようでしか無かった畳が平安時代に入ると少しずつ変化してきます。
平安時代に入って貴族の邸宅が寝殿造 (しんでんづくり)の建築様式となると、板間に座具や寝具などとして畳が所々に置かれるようになりました。
上部コンテンツにある「源氏物語」などは平安時代の作品で、貴族階級には相当普及していたと思われます。
また、「源氏物語」よりも古い「伊勢物語」のなかでも、主人公の在原 業平が「畳一枚抱えて歩く」との文があり、持ち歩けて必要な所に敷くための畳が普通に使われていた一つの証拠になっています。
ちなみに源氏物語が西暦1000年ごろで、伊勢物語は西暦800年代のものと思われる歌物語です。
在原 業平は実在の人物で生年825年、没年880年、六歌仙のひとりに数えられます。
西暦967年には延喜式と呼ばれる貴族内での決め事を記した法律が施工されます。
その中には貴族階級の身分によって「畳の厚み」等の制限が課せられて、畳の様式が権力の象徴になりました。
この延喜式には畳だけでなく様々な分野で決め事がなされ、全50巻・約3300条にも及びました。
平安中期~末期に書かれた『堤中納言物語』の中に、
「畳などや侍る 錦はし 高麗はし うげん 紫はしの畳 それ侍らずは 布べりさしたらむやれ畳にてまれ 貸し給へ」
と言う一文が出るのですが、この「高麗はし」とは「高麗縁」の事なのですが、「畳縁」の事を「はし」と呼んでいた事が分かります。
「錦はし」「紫はし」なども「錦畳縁」「紫畳縁」の事です。
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鎌倉時代 西暦1192年~1333年
- 鎌倉時代には畳はあんまり目だった変化を見せませんが、普及の割合は徐々に徐々に増えていきました。
鎌倉時代後期の絵巻物である「鶴岡放生会職人歌合」には日本の文献に始めて畳職人(現在の名称)の呼び名が出てきます。
七番左 畳差云々
「畳差」ってちょっと格好良いでしょうか、そうでも無いかな。
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室町時代 西暦1336年~1500年ごろ
- 鎌倉時代から室町時代にかけて書院造(しょいんづくり)が完成され、畳の一層の普及のきっかけになります。
畳が貴族階級に普及し始めると、今度は畳縁の素材・柄によって座る人の階級を制限します。
それは「海人藻芥」(あまのもくず)に記されています。西暦1420年成立。礼式・装束についての制限。
「海人藻芥」における身分・位階による畳縁の使用制限が、
■畳之事
・帝王院繧繝縁也、神仏前半畳用繧繝縁、此外更不可用者也、
・大紋高麗縁親王大臣用之、以下更不可用、大臣以下公卿小紋ノ高麗縁也、
・僧中者僧正以下同、有職非職紫縁也、六位侍黄縁ナリ、
・社寺諸社三綱等皆用黄縁云々、四位五位雲客用紫縁也
と記されています。
天皇や神仏の前に敷く畳には繧繝縁を、他の人は繧繝縁は使っちゃいけないよ、と言う決まりです。
畳を全面に敷き詰めるのは室町時代からになります。
最初に部屋に畳を敷き詰めたのは、足利善政が建設した銀閣寺にある4.5畳の部屋です。
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戦国時代 西暦1500年ごろ~1573年
- 現在、国産畳表の90%以上を生産する畳表最大産地の熊本県と一昔前までの主産地であった広島県(備後畳表)が本格的に畳表生産を始めたのがこの戦国時代です。
『広島畳表(備後畳表)』・・・1532年ごろ、野生のい草を栽培して畳表に製織したのが始まりと言われています。後に領主となった福島正則が幕府に備後畳表を献上しています。
『熊本畳表(肥後畳表)』・・・1503年ごろ領主の岩崎主馬守忠久がい草の栽培を奨励したのが始まりとされています。行政の保護下で栽培されていたため、大牟田、新牟田、上土、新開、下村の五つの村でのみ栽培されていました。
徐々にですが畳が普及し、大阪に「畳屋町」と言う畳を生業とする人たちの町が出来ました。
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安土・桃山時代 西暦1573年~1603年
- この時代から、庶民にも布団の普及が始まり畳が敷きこまれ始めました。
この時代に千利休が登場し、お茶室の基本が四畳半と言う事に決まりました。
また、この時代に豊臣秀吉が行った「太閤検地」の基準となる長さが六尺三寸でありこれは本間サイズの畳の長さと同じです。
これ以来、長さの基準が六尺三寸となり建物の建築にも使われたので、畳も同じ長さになったのではと思われます。
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江戸時代 西暦1603年~1868年
- 江戸時代には、「御畳奉行(おたたみぶぎょう)」という役職が作られるほど、畳は重要なものになりました。
畳が町民の間で大きく普及しだすのは江戸時代でも中期以降です。
江戸時代の長屋(賃貸住宅)では畳はオプションであり、入居者が自分で持って引っ越してくるものだったようです。(畳のサイズ・建物の基準が均一であったからこそですね)
- 上の絵は畳職人の仕事風景です。
何をしている所かが分かってしまいます。本当に何にも変わってないんだな、畳。と思います。
『隔冥記(鳳林承章の日記)』の1642年4月21日のところに、
「畳屋甚左衛門師弟両人来、上台所之畳指(刺)合也。」
と言う記述があり、親方は畳屋、職人は畳指・畳刺と呼ばれていた事が分かります。
また、
「人倫訓蒙図彙」(1690年)には、
「畳師 畳といふハ今の薄縁をいふもの也、畳置て是を敷ゆへ也、今時禁裏御畳屋烏丸通八幡町の下大針加賀同通四条ル丁伊阿弥筑後油小路六角下ル丁同長門大坂道修町道頓堀京堀川中立売の下其他所々にあり」とあります。
ここでは、畳店そのものの事を「畳屋」、畳職人の事を「畳師」と書いてあります。
呼び名はいろいろあったみたいですが、一般庶民にも畳が広まっていっていた感じがします。
しかし、畳が一般に普及しだしたとは言え未だに身分によって畳に使える材料が制限されています。
1833年に奈良奉行 梶野土佐守が東大寺正倉院のご開封の儀を行った時、朝廷からの勅使が座る畳とそれ以外の人間が座る畳が明確に分けられていた事からも分かります。
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明治 西暦1868年~1912年
- 明治に入り、畳にかけられていた制限が解けます。
しかし、社会全体に畳が広まるのは明治維新後です。
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大正 西暦1912年~1926年
- 大正時代には、産業革命による都市部への人口集中が始まって住宅の需要が高まり、それに応じて畳の大衆化がより一層進みました。
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昭和 西暦1926年~1989年
- 日本人の住宅に対する意識が少しずつ変わりだします。
畳を縫う機械が本格的に登場しました。
公団住宅などの集合住宅が増え、さたに都市部に人口が集中します。
建設ラッシュが起こり、畳需要のピークである平成元年まで突っ走ります。
畳床に「脱ワラ畳床」(建材畳床)が出来、畳の軽量化が進む。
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- もし、最初から最後までお読みいただいた方がいらっしゃれば、ありがとうございました。
- 長いですね。書くのも大変でした。
- こんな長い歴史のある畳業界で仕事が出来ているのは幸せな事だと思います。
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